心の中から湧き出る負の想念と向き合って戦い続けてはいますが、まだまだよくはなりそうにないです。日によって、時間帯によって差異はあるものの、イメージとしては黒いヘドロが噴水みたくゆっくりと湧き出ているような気分です。今まで無茶苦茶させてきた反動でもあるだろうし、今もなお現在進行形で進む問題たちにも永遠に追われ続けているような錯覚に悩まされ続けています。夜眠れば悪夢にうなされ、朝起きているときには何もできなくなる。それでも、最近はギターを弾くことで小一時間くらいは誤魔化せるようになってきていますが。
どこかにきちんと記しておかなければならないような気がしたので、ここに僕という人間がどうして、どうなってしまったのか、ということを少しでも伝えられればと思います。
まず、事の発端は家族の崩壊にあります。
小学生低学年の頃は裕福ではないもののそれなりの暮らしで、愛情に溢れた家庭だったと記憶しています。ですが、それが高学年中学生になるにつれて父親のギャンブル癖で借金が問題になるようになり、母親もブラックな仕事に捕まってしまい、酷い夫婦喧嘩が頻繁に起こるようになりました。僕は昔からあまり気の強い性格ではなく、良くも悪くも純粋な性格だったと自負していますので、この亀裂に深く深く悩み苦しんでいました。家出もしましたし、行くあてもなく野宿したこともありました。それも大人になるにつれてだんだんと現実を受け止められるようになり、家族と自分を切り離して考えることで高校生になる頃には区切りを決めて生活できていました。
高校二年の夏休みに親が離婚することになりました。理由はもともと冷め切っていた夫婦仲が原因ということももちろんありますが、母親の浮気が最終的なきっかけだったと思います。そのため、親権などは普通母方へ一任されることが多いらしいのですが、妹も僕も父方へ引き取られることになりました。
その後、離婚で荒れていた父が妹にDVをするという事件が起こりました。僕はもともと男で剣道でも叩かれることに関しては免疫があったので、殴る蹴るなどの直接的な暴力をされてもそこまで傷ついてはいなかったと思いますが、妹は泣きじゃくって父親と顔を合わせるのが怖いと言っていました。僕はこのままではまずいと思い、妹を母方に渡しました。父もそこで自分がしてしまったことを後悔し別人のように穏やかになりました。この一悶着以降は僕も妹も父親に暴行されることはなくなりました。
父親と母親が離婚してから、僕はずっと父親と一緒に住んでいますが、ずっと母親にもこっちに来ないか、と言われ続けています。僕は父親を一人にするわけにはいかないという愛情とも恐怖とも自分では判断できない思いから、これを今も断り続けています。ここから母親の過度の干渉に僕は悩まされ続けます。
母親は父親と離婚する1年前くらいから営業の仕事を始めてそこで良い成果をあげているらしいのですが、どうもそこで学んだこと、他人の考え等をさも自分がしたことのように僕に言い聞かせるのが好きなようでした。こういうことを自分で言うのも少し気持ちが悪い気がするのですが、僕は今まで学習塾だとか家庭教師だとかを一度も利用したことがなく、勉強することによって発生する費用が他の人よりも圧倒的に少ないのが取り柄、というか個性でして、それを母親は自慢に思ってくれているのか会社でもよく自慢の息子だと嘯いているそうです。別に勝手にしてくれればいい、と思っていますし、それよりも親として子どもに注ぐべき無条件の愛情が欠如していて、自分のアクセサリーか何かのように語るような姿が僕には滑稽な風にしか映らず、愛憎の思いがずっとあります。母親は自分を高めてくれる付加価値としての僕を愛しているのであって、僕個人という人間にはやはり何の価値も見出していないのではないか、と今でも思っています(真実かどうかは別として)。
妹はこういうことを言うのもなんですが、あまりできた人間ではなく、大雑把で先のことを考えずに適当に物事を決めたりする人間です(通学に往復3時間ほどかかる高校に入学したり等)。そのため、母親からは冷たく当たられていました。また元来の性格もあって学校をすぐに辞めてしまい、韓国のアイドルのおっかけをするためだけにバイトをする、というフリーターの生活を妹は今もしています。僕は流石に高校は出ておいた方がいいし、こんな生活ではロクな未来はない、前述の事件のせいで父親の方へ戻ることができない妹を無理矢理にでも学校に行かせるべきだと母親に進言しました。ですが、母親は妹のことを対して考えておらず、最悪風俗で働くようなことになっても構わない、と言うのでここで僕は母親との連絡を断ち、妹に今の父親は別人のようだから安心してこっちに来るようにと働きかけました。
初めは妹も嫌がっていましたが、母親から冷たく当たられるよりかはマシだと思ってくれたのか父方に戻ってくれました(しかし、フリーターの生活は変わらず、現在進行形の悩みの一つではある)。
そうして僕は受験生であり、志望校は楽な大学ではないので自分のことで精一杯だったのですが、自分を省みず無茶苦茶を言わせて父親と母親がお互いに知り得ないような問題をほとんど僕が片付けて、と所詮は17、18歳になったばかりの子どもに大人の闇をエゴを抱え込ませていたので、それがセンター試験当日に爆発してしまいましたという顛末です。二度と消えない傷を体ではなく心に刻み込ませることでようやく自分がいかに無謀で無茶苦茶なことをしていたのか、自分を大事にしていなかったのかということに気づきました。
最後に僕は心の病気を患っているわけではない?はずです、あくまでもその入り口にいるのでいつ精神科の先生に精神疾患の診断を出されてもおかしくはない、という状況にあるだけです。ご飯も食べられるようになっていますし、好きなこともできるようになっています。そんなに深刻だと思わないでいただけたらなと思います笑。
できることならば今まで通りに接してほしいと思っていますし、僕がいつもとは違うなと感じてもできるだけ気にしないようにしていただきたいです。あんまりこういう話をするのも疲れるので申し訳ないんですが、できればこれ以上はあまり深く聞かないでいただきたいです。
ここまで僕の自分語りを、長文を読んでくださり本当にありがとうございました。心から感謝しております。